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これはやめなよ! な小学校の指導

小学校の完食指導で児童が嘔吐などしたというニュースがあった

 

「給食残さず食べなさい」…完食指導で児童5人嘔吐 50代教諭を厳重注意処分 岐阜市教委 - 産経WEST

 

 

たくさんの子供を見る先生は大変な苦労をされているのもわかるし
労働環境、親からの目など置かれている立場が難しいのもわかる。
だから、この先生に対して一般的な立ち位置であーだこーだ言うのは
間違っていないが『偽善的』であると私は思う。

だから、先生個人というよりも、そもそも学校全体(行事的?)で行われている指導で
これはやめた方がいいのでは?と思うことをあげてみた。

 

1 全員完食

給食をクラス全員が完食した。
これが毎日発表される学校がある。
アレルギーがある子は別扱いだそうなのだが、
それを置いておいてもちょっと首をかしげてしまう。

好き嫌いは当然よくないが、どうしても食べられないもの。というのもあるのではないか。
アレルギーは無いが、食べると吐き気がしてしまうもの。
あっても珍しくない。

これは食べられなくても仕方が無い。
だが、この仕方が無い、も『クラス全員で完食』が目標になってしまうと状況が変わる。
『あいつが食べられなかったから逃した』からはじまり
『みんなに悪いから無理やり食べる』となる。

私には不幸に思えるのだが・・・

 

 

 

2 無欠席記録

『全校無欠席記録〇日達成』
みたいなものが校舎に貼られている学校を何度もみた。
最近見ないのは単純に気付かないだけなのか、それとも指導が入ってやめたのかわからない。

が、この掲示があった頃からなぜこんな愚かなことをやっているのだろう?と思っていた。

連帯責任感が欠席するという状況を否定するわけなので、
欠席しなければならない状況でも無理して登校する子供が出てくる。

結果的に
 体調的(高熱など)でも出席する
 家族都合でも休めない
特に
 学校が嫌でも逃げられない
最後が特に怖いと思う。

個人的な考えになるが、様々な原因で学校に行きたくなくなる子供は『逃げて』もいいと考えている。

人生のうちの高々数年。
ドロップアウトしてもいいのではないかと思う。

重要なのは、どこにいるか?ではなく何をやるか?
別に学校でなくても必ずしもいいのではないか?と思っている。

ただ、この場合の家族への負担や、学校でなければ経験できない事などもあるので一概にいえない。
このあたりは改めてまとめてみようと思っている。


そういった個人の状況を全て無視して『無欠席』などと高々に掲げるのはいかがかと思う。

 

以上の2点だが、共通しているのは
 連帯責任感で行動を強制している
 能力ではない、体のどうしようもないところで無理をさせてしまう
 個人の要因でが失敗したときに批判の目にさらされる
という点が問題だと思う。

このような取り組みはいい面も当然あるのだろうが、悪い面が最悪なのでやらない方がいいと思う。


念のため付け加えておくが、
私は学校の競争意識を煽るようなやり方全てにNOと言っているわけではない。

運動会の徒競走で順位をつけなかったり、色々なところで優越つけずお互い頑張ったね。
みたいなお茶を濁したような評価を行う事に関しては完全に否定的だ。
このような事を決めた人や影響を与えた人は死んでもいいとすら思っているほど。


ただ、子供同士のつながりや友達への責任感を逆手に取った教育の仕方はよくないと思っている。